よく選挙があると
『一票の格差』問題が取り上げられて
訴訟にもなる。
裁判所の判決が報じられ
個人の権利が高々と唱えられる。
そうですね〜
同じ意志表示として投じた一票に
重さの違いが出来る。
それが 『1票の格差』問題。
国民としての大事な権利が侵害されているという。
地方に住む者
都会に住む者
中間都市に暮らす者に
同じ命なのに
1票の格差ならぬ 人間の格差が生まれてます。
明日は 1.17
慰霊のロウソクが灯る日です。
あと二ヶ月で 3.11
あれから三年が経ちます。
テレビのワイドショーでは
都知事選のことが取り上げられています。
三年前に 福島の人たちはとても苦しい立場に追い込まれました。
逃げるか留まるかのギリギリの選択をどの家庭も強いられました。
郡山のこうさんから 『今からそっちに逃げるっ』と
電話が入った時の一刻を争う緊迫した互いのやり取りは
きっと一生忘れません。
ワイドショーのコメンテーターは
迷惑顔でこう言います。
『原発の問題は国政の問題なのに
東京都の未来を決める都知事選に
争点として原発の問題を持ち込むのは
なんだか違うように思う・・・・・。』
ひとごとのそうした発想に
人間としての格差社会があることに気付かされます。
東京には1000万人もの人が暮らしています。
日本人の10人にひとりは 東京都民です。
巨大なビルや公共施設が集中し テレビ局は連日連夜
徹夜で情報を流し続けます。
国会議事堂もあるし 大きな国立競技場は新しく建て替えられて
オリンピックに沸き立ちます。
道路は空中を幾重にも交差し
地下も同様です。
眠らない街の灯は朝まで煌々と夜空を隠し
ざわめきは街に溢れます。
無いものはなにも無い街です。
ただひとつを除いては・・・・・。
そう 原子力発電所がありません。
原子力発電所を東京に作ると言ったら
日本の首都・・・・・。
世界に誇る東京に万が一のことが起こったら
取り返しのつかないことになるからと
きっと識者はいうでしょう。
つまり東京に住む者と
遠い地方の 原発周辺に住む者とに
人としての格差が生まれているんです。
大事にされる者と
お金を渡されて我慢させられる者と・・・・。
なんか沖縄の基地の問題と根は似ています。
日本の国政の中心地である東京都が
反映を維持し 今後も国政の重要な場所で
原発のリスクから守るべき存在ならば
それならば首都を
国政の中心地を福島に移す遷都を行えばいい。
国会議事堂を福島に移設し
移設して空いた東京の跡地に原発を建てればいい。
そうすれば 都民の多くは新しい首都 福島に移住し
福島は日本一安全な場所になります。
でも そんなことは出来ない。
東京都から離れられない人たちが必ずいて
その人たちが福島の変わりに恐怖に怯えるからです。
せめて 震災後に真剣に被災地を心配してくれたメディアの方々よ。
同じその口から
『原発の問題は都政とは馴染まない』などと発しないで欲しい。
そして 無人の街を その足で歩いて欲しい。
なんども 写真を載せるのは本意ではないのだけれど
昨年秋に訪れた 『福島県富岡町の様子』をご覧下さい。
放射線で住めなくなった街は
雑草に埋もれ 駅前の商店街も
車が突っ込んだままに放置されています。
是非 遠い国のおとぎ話ではなく
我が身に降りかかったことと
共感出来る イマジネーションをお持ち下さい。
住む場所によって・・・・
原発からの距離によって
人間としての大事にされ具合の格差など
あってはならないのです。
その格差を解消する唯一の方法は
原発に依存することを
今止めることです。
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軽トラックが建物の中に突っ込んだまま。
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みなさんも上記の写真のような
津波の爪あとは沢山見られて来たことでしょう。
でもここには 放射線があって
人が住めないので そのまま今も放置状態なのです。
ここで暮らしていた方々は どれほど無念でしょうか。
再建できない爪あとを
ず〜〜〜っと見続けないといけないんです。
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是非 我が事と置き換えて考える優しさを思い出してください。
お金儲けのために
海外に原発を輸出などしないで下さい。
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富岡町の見どころって看板がありました。
原発推進者は
富岡町の今に
果たして何を見るのでしょうか・・・・・。
何を私たちに見せてくれるのでしょうか。。。