佐賀「植木屋本舗」☆ミッポ(´∀`)ブログ☆
アトピーっ子育てと己育て。
ニックネーム: uekiyamippo
投稿日時: 2010/01/12 00:26

今日は 長男の誕生日。
11歳になります。

長男が産まれた時、私はものすごく悩んだことがありました。
というのも、彼は生まれて1ヶ月後、全身がカサカサというだけでなく、もう、頭の皮までもむけているほどの
ひどいアトピー。

夜もかゆみで眠れず、抱いていると泣かないけど、寝たなぁと思ってお布団に下ろすと 大泣き。
顔に手をやり、掻く仕草をする。
思い悩み、いろんな人に相談をしたけど、水を変えたらいいと高い浄水器を買わされたり、
健康食品みたいなものをすすめられたり。

そのうち、顔からリンパ液がでるほど ひどくなり、いろいろ薦めてくださった方は「好転反応だからもうしばらくの辛抱」と
繰り返すばかり。


どうしても母乳で育てたい。そう私は思っていて、思い悩んだ末、親戚の方から「桶谷式 母乳マッサージ」のことを
聞き、早速行ってみた。

当時、もう高齢だった S先生。
ウチの長男を見るなり 私をひどく叱った。「どうしてこうなるまで 放っておいたの。これはアトピーよ。」と。

「とにかく、母乳の質を良くしなさい。大きなアレルゲンといわれている卵、乳製品、豆類、肉類、油モノは一切禁止」と言われた。

それから…「とにかく、食事療法をしながら、改善して行きましょう。それと下関に除去食でアトピーを治す先生が居るから
そこに行きなさい。ただ、先生のところは患者さんが多いから予約をしてから1ヶ月ぐらいは待たないと」と言われた。

その先生に 予約をし、やはり1ヶ月近く待っただろうか。
その間、私は除去食について勉強をし、5大アレルゲンを除去。それでも一向に状態は良くなく、とうとうもう何を食べていいのか解らなくなり ひどい時は ご飯と塩で味付けした青菜をゆでて食べていた。

こんな食事をしている上に 授乳もしているので 私は産後2ヶ月でみるみる痩せてしまった。
夜も夜鳴きで眠れない。 長男を抱いたまま、壁に寄りかかって仮眠をとるような日々。
夫は そのころ、勤めで造園会社に勤務していたので 朝も早く おまけに高いところにも登るような仕事なので
寝不足=事故なので、端と端の部屋で別々に寝ていた。

1ヵ月後、下関の先生のところへ受診。
そこでも先生に怒られた。「お母さん、何を食べておっぱい上げてたの?この子はお米のアレルギーもあるよ。それなのにお米を食べてた?」と。

お米のアレルギー?

「お米はね、卵なんかのアトピーとは比べ物にならない。 骨まで掻きたくなるぐらいにかゆいんだよ。どうしてそれが
わかってあげられなかった?」と

そういわれた時 母親として 自分が本当に無知であったことを恥じたし、自分なりの一所懸命が結果に現れなかったこと
が哀しくて、怒られたことが哀しくて涙がでた。

先生は「とにかく、入院しなさい。入院してちゃんと除去食を勉強しなさい。」と

アトピーでわが子が入院…
下関から佐賀まで帰る4時間の道のり。助手席のベビーシートで眠っている長男を見ては涙がでた。

帰宅してから 夫に「入院することになった」といった時、夫も驚いていた。
でも 入院して治す事に 賛成してくれた。 「俺の事はいいからしっかり治しておいで」

S病院は 長男のようなアトピーの子ども達が他にも入院していて その中でもまだ、生後2ヶ月だった長男は小さい方。
4〜6人の相部屋で 私と長男は柵の付いた子ども用のベッドで一緒に寝る。
その上、他の子どもや付き添いのお母さんも居るので夜鳴きをさせないように、そこでもほとんど眠れない生活。

入院した 翌日に看護士さんが「お風呂にいれますから、一緒に着てください」と言われ、ベビー用のシンクで
長男をお風呂に入れてくれた。

「お母さん、こんなに皮膚の皮がむけてるけど、これがまた、乾燥してかゆみの原因にもなるの。だからゆっくりふやかして
指の腹で むけている皮をこすってあげるのよ。」そういいながら、カサカサだった長男の全身を綺麗にしていく。
ゆっくり濡らし、そっとこすり。
そうすると 下から綺麗な皮膚が見えた。
カサカサしてるから こすったら痛そうだ…と思って 十分に洗ってあげることをしてあげきれなかった。
ここでも 無知な自分を知る。

「大人は28日周期で細胞があたらしくなる。だけど赤ちゃんはもっと早いの。だから治りも早いから。お母さん頑張って」

看護士さんの言葉に また涙が出る。

ここでは お風呂の入れ方だけじゃなくて 適切なステロイドの使い方、 そして除去食について学ぶ。
ウチの場合は まだ、離乳食を始めていないので 除去食は 私が食べるものが 出される。

アレルゲンになる物質は 母乳を通して 乳児に1/100程行く。と言われていた。
その1/100にも 長男は反応していたんだ。
乳児は体の機能がまだ、不十分だから、大きくなれば代謝機能もあがり 反応が出にくくなるからその時までは
きちんと除去してあげることでその後の反応の出方が変わると言われた。

それを言われた時に 私は 絶対長男を治す。絶対に「大丈夫」といわれるまでアレルゲンは摂らない。と決めた。

長男は血液検査の結果 お米のアレルギーだけでなく、小麦、卵、乳製品、油に対するアレルギーがあることがわかった


なのでそれらを除去し、代替品を食べる。
アレルギーの子は 同じものを食べ続けることで新たな アレルゲンが出てくる可能性があるので 食品は「回転食」にしますと言われ、

主食としてのお米、小麦が食べられない。その代わりに 「サツマイモ」「ジャガイモ」「かぼちゃ」を毎日の主食として
回転させながら食べる。(これは授乳をしていた1歳半まで私は続けていた)
卵アレルギーということは 卵そのものだけでなく、鶏のもの、鶏肉、チキンスープ等も禁止。
乳製品については チーズ、ヨーグルト、牛肉、牛乳も禁止。
油は ほとんどがダメ。唯一エゴマ油だけ(シソ油)を少量なら可。

ですが、永久に食べられないということばかりではない。症状をみながら、少しずつの食品を 食べれるように許可しますので、ということだった。


日曜日に 夫がお見舞いに来た。
ベッドに転がってる長男を見て 抱いてあやしながら 「K、こんな顔してたんだ」と言った。
入院前に カサカサだったのと 違い 綺麗になりつつある長男の顔を見て。
それから頭を何度も 何度もなでながら 「治れ、治れ、治れ」と励ましてた。

そういう中で 10日間ほど、学習入院をさせてもらい
その後、1歳半まで、S病院には 時折通い、指導をしていただいた。

今では 長男は 卵そのもの、マヨネーズ以外のものはなんでも食べてる。大人以上に良く食べ、
好き嫌いなど全くない。 
私は長男の為に、「食べれるもの、食べられないもの」をきちんと伝えてきたし、「食べられないことが悪いんじゃない。
他の子にも好き嫌いがあるのと同じで、Kの場合は自分の体が『これは合わないよ』と教えてくれてるだけだから」と
言い聞かせてきた。
長男も自分がアトピーであることをきちんと理解をしていたので 「食べられないことが辛い」と口にすることはなく、
代わりに自分が食べられるものをきちんと食べている。

今では 他のお母さんや友だちがみても全くアトピーとは思えないほど皮膚の状態もいい。

給食の時は他の子と違うメニューの時もあるけど 周りの友だちも「Kくんはアレルギーあるから」とわかってくれてて 新任の先生には本人が言わなくても「先生、Kくんはコレ食べれんよ」と教えてくれるらしい。

長男のアトピーは 私にとっては 悩んだ大きなことの一つではあったけど 親として 何が大事なのか
親として 何ができるのか、を考えさせられ、感じ取れた出来事でした。
私は 大したことができる 母親じゃない。 だけど長男がいたからこそ、私は母親という存在になれた。
きっと…私は実母の娘であるだろうけど こんなこというと怒られるかも知れないけど ホントにホントに母が私を
生んだかどうかは 母のみが知ること…
(母はよく 叱る時に ミッポは橋の下から拾ってきたと言ってたし病気(女の子) 

だけど長男は、私が母親として産んだという 絶対の真実がある。
あ。姫も、次男も私が母親として産みましたよ、もちろん汗

命を産み、育てることが出来たのは 長男が 私の所に 産まれてきてくれたから。
産まれて来てくれてありがとう。

そして11歳の誕生日 おめでとう。


(誕生日にはお寿司食べたいと言ってたけど どうか、うちの家計の為に 控えめに食べてくれる優しさを持ち合わせた
子であることを祈り、願い、伏してお頼みもうしあげますエーン(女の子)










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