我が家の周りの花達
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久々のブログ更新です。帰郷してました〜。 実家のトイレの窓の外に「ノウゼンカズラ」がきれいに咲いてました。 なんでだろう?ネットには「のうぜんかつら」、「ノウゼンカズラ」と出てました。 ひらかなだと、かつら、 カタカナだと、カズラ、、カツラを御使用の方、どちらが違和感ないですか?え?よけいなお世話??失礼しました〜〜。 2週間前、帰った時は紫陽花がきれいでした。 病室の姉に 私「トイレの前の紫陽花がきれいに咲いてたよ。」 姉「ノウゼンカズラは咲いてなかった?」 私「さぁ、、気づかんかった。」 姉「、あら、、、枯れたんじゃろうか?、、死んだんかねぇ、、」 私「帰ったら見てみるわ〜」 その後、見るのも忘れてました、、。 「咲きそうだったよ、、」と言えばよかった、、。嘘がつけない性格というのもよくないですね、、。はっ?、、(年齢に関してはOK) 姉は死に対して大変神経質になってたというのに、、、、。 まだ紫陽花もきれいに咲いてました。 外から こんなに見事に咲いてます。 草だらけになったこの場所は、昔々母の歩行練習場でした。 3年前の4月、母の七回忌に帰った時 この水色の手すりを持ちながら、母は毎日何時間もリハビリ歩行してました。 姉は母が歩くこの場所には、母のためにといろいろ花を植えてあげてました。 父を看取り、、寝たきりになった母を4年間介護して、姉は9年間一人で暮らしてました。大変な苦労の後は寂しさの生活だったのかも、、。 3年前帰った時に 姉は花が大好きでした。真ん中はスターチス。 昔は庭の花で押し花を作って、いろんな額をつくってましたが、、 残念なことにその頃私はほとんど花に興味なく、、当時花について話したことがなく、、キレイだとかステキとか言ったことなかったです。 すっかり色があせてますが、昔、押し花で作った額です。結構大作。
今回、草だらけの庭の中、黄色い百合が咲いてました。 2週間ほど前、姉はホスピスに入ると、ブログに書きましたが ホスピスの空きができるまで、隣接した一般病棟へ入院することになり(車で1時間余り離れた病院へ)転院したのですが、翌日意識が無くなり、翌々日早朝亡くなりました。(一日半いただけでした。)何のために転院したのか??? 告別式の翌日/納骨の日。(その前にみんなでお墓の草取り!)両親の墓へ、。この墓地はすごい傾斜です!70歳の和尚さんもフーフー(○○のためなら、、、)休みながら上がっていきます、、。 姉は去年の暮れ、両親の墓参りに来て(肺にも骨にも転移してるというのも知らずに、、)、「今回は息がすごい苦しかった、(10月頃から呼吸が苦しくなってました)。もう墓参りできそうにない、、。」と、電話で言ってました。
墓の後ろから。坂はきついけど、因島大橋が見えて絶景です。 (両親のお墓に入りました。「ありゃもう来たんね〜」と言われてるのかも、)
遠くから来た人用にとった宿の部屋にちょっと入ってみたのですが、、 窓からの景色がバッチグー。ここは昔国民宿舎でした。景色はとてもいいです。上の写真の墓からの景色とは全く別の場所です。実家の場所も又、全く別の場所です。それぞれ、島のどこからでも、海の景色はステキです。(島はホントすごい過疎化!!!なんか寂しいですね、、。) 遠くの島は「生口(いくち)島」といって因島と橋で繋がってます。(しまなみ海道) この島出身の「平山郁夫の美術館」や西日光と呼ばれる「耕三寺」があります。
見る見る間に日が沈んで行きました。沈んだ所をしてない。 8月に新盆で帰った時は、別の場所からの景色をってきて 紹介します。 最後に姉に「又、会いに来るから」と言って8日目に亡くなったわけですが、 あの時、姉に「いろいろありがとう、」、といっぱい感謝の言葉を言いたかったけど、言うと、なんか最後になりそうで言わなかったことを、今 後悔してます。 同じ日に23年間親しくしてた人が亡くなってしまいショックでした。お別れに行けませんでした、、。 悔しいけど仕方ない、二人共苦しみが無くなって楽になったんだと思うべき、、、。 、、、身内の別れは本当に辛いですね。これを避けることはできないんですよね、、。 でも、東北地方震災で亡くなられた人達、遺族の方達に比べれば、ずっと恵まれてる、、と思っています。突然すべてを失うなんて、想像できません。 おお〜〜っと、また暗い感じになったので、今日はここでおしまい。 ご心配いろいろありがとうございました。 仕方ないです。しょうがないです。仕方ない、しょうがない、、ね。
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