皆様、こんにちは^^
今日も快晴で、思わず外に出たくなっちゃう陽気ですね!
昨日の尻切れトンボのブログに、家族からダメ出しを喰らい、今日は真面目(≒長く?)に書く所存であります、もちろん浅野です☆
・・・あまり、長くならないように頑張りますw
お昼待ちをしている間、昨日紹介しました山居倉庫をはじめ、次に訪れたのは私が今回の旅で一番行きたかった土門拳記念館です。
記念館は、酒田駅から見て最上川を渡ったところの飯森山公園の中にある写真美術館のことです。
この飯森山公園。
他にもいろいろな文化施設が立ち並び、東北公益文化大学をはじめ、国体記念体育館、酒田市美術館、かんぽの郷や出羽遊心館(後ほどご紹介しますw)などがあります。
で、この土門拳という方をご存知でしょうか?
山形県民なら知っている人も多いと思います。
酒田市出身の写真家で、今から20年前の1990年に亡くなっておられます。
リアリズム写真を確立した写真界の巨匠で、報道写真の鬼とも呼ばれた時代もあり、その名は世界的にも知られているそうです。
(パンフより拝借)
私はお恥ずかしいことながら、土門拳を初めから知っていたわけではなく、この建物・記念館を設計した谷口吉生の方から入っていって土門を知ったのでした。
谷口吉生は同じく、酒田市の国体記念体育館も設計しておりますが、他には長野の信濃美術館東山魁夷館(toledoさんの所にお邪魔するとき絶対行きたいです!)や、東京国立博物館の法隆寺宝物館なんかも設計されております。
この方の父親も谷口吉郎 といって、数多くの建築を残されております。
(東京国立博物館の東洋館、日本学士館、上山市・斉藤茂吉記念館など)
そんなところから土門さんを知ったので、私も一緒に勉強させていただきました。
この記念館は土門さんが亡くなる数年前に完成されたのですが、彼自身、70歳のときに脳血栓で倒れて以来亡くなるまでの11年間、意識が回復することなく亡くなってしまったそうで、完成をみることはありませんでした。
倒れた次の年に記念館建設委員会が設置され(記念館構想の案はその前よりあった)、その3年後の酒田市制施行50周年が開館と予定されましたが、資金調達にはだいぶ苦しんだそうです。
設計は土門の希望で本来ならば父親の谷口吉郎になる予定だったのですが、急死したため息子の谷口吉生に依頼されたそうです。
(谷口吉生はこの土門記念館で、吉田五十八賞を受賞し一気に建築家として有名になりました。)
当時、日本では写真美術館というものは存在せず、これが初めての美術館となりました。
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飯森山公園の国体記念体育館の横に位置しますが、目の前に広大な池(2万u・人工)があるため、とても静的なイメージを受けました。
外壁はポルトガル産の花崗岩だそうです。
この池、建物と反対側にはこちら
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鳥海山が綺麗に見えます。
この建物の設計段階で、かつての土門の友人達が記念館設立に当たって参加を求めてきました。
彫刻家のイサム・ノグチは中庭に彫刻を、
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(アップなくてすみませんが、水の中にたっているものがそうです。)
グラフィックデザイナーの亀倉雄策は銘板とポスターを、
(建物内なので写真はありません。)
草月流三代目家元の勅使河原宏は庭を、
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(正面の写真は建物内からでないと撮れないので諦めましたw)
それぞれ、無償で記念館に寄贈したそうです。
素晴らしいですね!
肝心の展示内容。
実は私、写真の美術館にはじめて行ったのですが、このときの展覧会の内容は「古寺巡礼」でした。
古寺の撮影は土門さんのライフワークだったと言います。
仏像の写真が多数で、その写真の中の仏像は今にも動きそうなものばかり。
きっと本物を見てもそうは感じないんでしょうねぇ。
私は仏像には詳しくないので、仏像の見方が書いてある案内を見ながら廻りました。
二つの中庭の展示もよかったです。
勅使河原氏の中庭「流れ」に使用してある石は、自ら最上川に出向いて集めたものだそうです。
実際見ると、そこらへんにあるとは思えない石ばかりだったのでびっくりですw
まだ笹が緑になっていなかったので、もう一度夏に見たいですねぇ。
さて、やっぱり長くなってしまった土門拳記念館のご紹介。
行きたくなった方は、すぐにでもに〜のさんに案内を頼んでみましょう!笑
では、続きはまた今度〜!