花と樹と風と土 ガーデン工房 結 -YUI- のガーデン通信
蒼園、井出さんにお会いする
ニックネーム: 向井康治
投稿日時: 2011/08/12 03:01

…というような記事を書いて良いものか?
その後バタバタと過ごすうちに(いつものことですが)、すでに1週間もたってしまったし…

おそらく大きく筋を外さない限り、井出さんからお叱りを受けることはないだろうとたかを括ることにいたします。


タカショーさんのリフォームガーデンクラブ全国交流会には、いつも声を掛けて頂きながら今回も欠席してしまいました。
神戸出張と奈良旅行とその後に控えた業務を言い訳にしつつ、しかし年に数度も都内に出ることがなくなったこの身には、東京に出向くこと自体が余程の覚悟がない限りとても難しいことなのです。
が、それが井出さんにお目に掛かる数少ないチャンスと知っていれば、その覚悟のほども少しは違っていたかもしれません。

井出さんとはお互いのブログへのコメントや或いはメッセージでおつき合いさせて頂いておりましたが、電話でお話ししたのがほんの数回。
まだ、お目に掛かって直接お話しを聞く機会には恵まれずにおりました。

そのブログの激しい論調とは一転した、穏やかで温かいお話しぶりには最初お電話を頂いた時、とても驚かされたものでした。

罵倒と糾弾と嘆きに満ちたとても激しいブログの文章は、それはそれで胸に応えるものがあります。
わたしなど、何度読みながら恥ずかしさで赤面したことか…自分がお叱りを受けている気になって冷や汗を流すことも一度や二度ではありませんでした。
どれだけ傲岸と取られ不遜な印象を与えるような激しい文体であろうと、あくまで「正義」に基づいて発せられる言葉の重みには、ただ頭を下げるより有りませんでした。

それが一転、電話口で語られる一語一語はとても柔らかなもので、時に苦渋に満ちたものにもなり、わたしを慌てさせたり共感させたりしてきたものだったのです。

その井出さんから全国交流会の2日目にお電話を頂戴し、帰りのバスまでに時間があるので会ってお話しをしたいとのありがたいお申し出…
こちらまで出向いて下さるとまでおっしゃって頂き、わたしは恐縮してしまいました。
都内からここまで往復すればゆうに5,6時間は掛かります。それではお帰りのバスに間に合わなくなりますし、幸いなことにその日わたしは午前中に1件打ち合わせを予定していたものの、午後は設計に充てるつもりでおりましたので、即座に午後の日程を調整して空ける事にいたしました。

品川の駅前で初めてお目に掛かった井出さんは、初めての電話同様にわたしを驚かせるに十分な、とても謙虚で遠慮がちで穏やかなお人柄を感じさせる方でした。

近くの喫茶店に腰を据え、当面のご予定などを伺う中で飛び出した情報の数々…昨夜のカプセルホテル、駅前のマックで仕事、品川発の夜行バス。
いやあ、社員が贅沢を許してくれなくて、とおっしゃる言葉からは自らを厳しく律して経費を切り詰め、どうしたって大きな利益を生み出すはずのない良心的すぎる仕事ぶりを窺い知ることができて、お会いした早々から不覚にも目頭を熱くしてしまいました。

どんなにしても厳しいそのやりくりの中で、常に勉強して専門家を凌駕しかねないほどの広範な知識と技術を身につけ、それも単に受け売りの知識でなく自ら研究、実験して自分のものにしていく井出さんの姿勢には感服させられましたし、そこから生み出されるご自分の仕事に対する自信と誇りには異論を差し挟む余地などまったくありません。

予定していた2時間をわたしの希望で3時間にまで延長させて頂き、その他にも本当にたくさんのお話しをさせて頂きました。
前日に茨城で目の当たりにしてきた手抜き工事のあまりにひどい現実。わたしのついぞ知ることのなかった業界内の怖い話の数々。その日の午前中に井出さんがお会いしたというO先生の素晴らしい仕事の話。井出さんがこれまでに取り組んできたこと、これからやりたいと思っていること。などなど…
語るうちに気持ちが熱くなれば、そこからブログでいつも拝見する熱い井出さんも垣間見ることは出来ましたが、それ以上に間違いなく目の前の井出さんとブログの井出さんが同一の人物だと実感するキーワードをひとつ挙げるとするなら、それが「正義」という言葉であったろうと思います。

この日、わたしは井出さんの貴重なお話を伺いながら、正義ということについてずっと考え続けました。

正義は必ずしも唯一無二ではない。
正義は常に最善であると限らない。
正義は時に人を傷つけ、自らをも傷つけるものである。
でも、正義は常に語り続けなければならないし、忘れられることがあってはならない。
誰しも正義と向き合わなければならないし、例えそこから外れることがあっても無意識であってはならない。

わたしは井出さんと話しながら、京都大学原子炉実験所助教である小出裕章先生を思い出していました。
原子力の研究者として第一線に身を置きながら40年にも渡って原子力発電の危険性を訴え続け、異端としての誹りを受け続けながらも今回の原発事故でようやく、その発言を認められるようになった小出先生。
その先生の活動を非公式ながら取りまとめ続けるサイトがあって、アメリカに住む友人からその存在を知らされました。

小出裕章(京大助教)非公式まとめ

ここで語られている事実はどれも思わず目を背けたくなるような事ばかりです。
政府やお役人や東電関係者が事実として述べていることの多くが、事実を誤認したり意図的に隠したりしているものであると言うことを、それはいとも簡単に明らかにしていきます。
だから、このサイトを開くのはとても辛い。
辛いけれどいったん開いてしまうとそこからもう目を背けることが出来なくなって、何時間にも渡って入り浸ることになってしまいます。そして暗澹たる気分になってしまう…
少し極端ですが、このサイトと井出さんのブログはとても似ていると思いました。
井出さんのブログも、のめり込むと仕事が滞ってしまうからなかなか開く勇気を持てずにいるのですが、いったん開くと夜が更けるのも忘れるくらい読みふけってしまう…で、暗澹たる気持ちで朝を迎えることになってしまう…同じです。

しかし、これだけは間違いのないことですが、真実を知らずに正しい選択は出来ないのだと思います。
そして、良い仕事も出来ない。

井出さんとのお話の最後になって、とても素晴らしい仕事をするタイル屋さんの話題が出ました。
そしていざお別れという段になって、今度お目に掛かったときはそうした素敵な仕事の話をたくさんしましょうと、これはわたしからお願いしました。
…でないと、わたしはこの仕事に対する誇りや情熱を失ってしまいかねないと感じたのですが、おそらくそんなこととは関係なく、井出さんも小出先生も、それぞれの仕事に対する誇りや情熱を高く掲げ続けることでしょう。
一方で悲しい現実と向き合っては、悲嘆に暮れる毎日が続いたにしても…


そういった種類の「正義」について、深く心に刻みつけられた一日であったと思います。






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