花と樹と風と土 ガーデン工房 結 -YUI- のガーデン通信
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宮城県亘理郡山元町7日目、最終日の朝。 快晴です。 朝からとても暑くなって、昨日のイベント当日がこんな天気でなくてよかったと思いました。 会場はパエリア始め、火を使って調理するものが多かったですし、われわれの花のお届けもあのペースで動き回っていたらまず人間が保たなかったでしょう。花たちも絶えず水やりをしなくてはいけなかった筈。 時間も取られてさらに配り終える時間が遅くなり、留守宅に置かせてもらった鉢の心配までしなくてはなりませんでした。 本当に1週間過ごした山元町で唯一の曇り空が11日になったことを感謝しました。 これは各地で開催された震災から半年の鎮魂イベントに参加された方たちにとっても、何よりのことだったと思います。 通いなれた山下中学校に到着すると、いつの間にか正面玄関に植えた植物の花が咲いていました。 ハギ、そしてフジバカマ、シュウメイギク…トラノオも。 暑いながらも、季節はすでに秋を迎えているのですね。 山下花いっぱいボランティアの面々も駆け付けてくれて、撤収作業です。 みなさんには本当に最初から最後までお世話になりっぱなしでした。 今回使ったのとは別の種類の鉢が残っていたので、花苗の一部とともに持って行っていただきました。 それらもまた、彼らによって山元町を彩ってくれるはずです。 この方たち自身が被災者でもあるのに、これまですべて自前で種から花を育て、バザーで得た収入を土やプランターの購入に充て、そのようにして震災の町を花で埋め尽くそうと努力なさっている姿にはただただ脱帽するしかありません。 いい活動をさせてもらった、ありがとうと、お礼の言葉はそっくりそのままこのみなさんにお返ししなくてはなりません。 彼らの支えなしでは、われわれの活動はここまでスムースにいかなかったでしょう。 本当に何度感謝してもし足りることはありません。 そして、地元の男性スタッフのみなさん。 この週末がそうであったように休暇はすべて返上して、その代り平日休むという訳にもいかず、震災からこのかた駆け通しのみなさんです。ひょうひょうとして疲れた表情を見せずに細部まで気を配って下さり、この日もそこまでしてもらっては申し訳ないと(それは逆です)、率先して掃除に、資材の積み込みに汗を流してくださいました。 本当にみなさんこそお身体を大切になさってください。 数が中途半端になってわずかに残った花鉢たちは最後に役場と中学校にプレゼントして、 スタッフのみなさんやボランティアのみなさん、そして学校の先生方にお別れと再会のお約束をし、1週間通い続けた山下中学校を後にしました。 昨日最後に回った仮設住宅を訪ねて武内さんと次回の配布先の確認をし、ここで解散となりました。 何度も何度も花苗を満載にして走り回った麻生原の風景。 この素朴で何度見ても見飽きることのない景色を、大切に守っていければ良いですね。 さて、武内さんと分かれたわたしは今回数の関係で配布できなかった坂元地区のふたつの仮設住宅を訪ねて、その位置を確認し、その足で初めて国道の海岸側を訪ねました。 子供たちが祭りを復活させ新しい町づくりを始めたいという、そのために塩害で茶枯れたり雑草に覆われた土地に花を咲かせてほしいと頼まれた坂元地区の現状を、まずは目に焼き付けておきたいと思いました。 町の西側のアップルラインに対して東側海岸線を走るストロベリーライン… その現状がこれでした。 道路は至る所で陥没したり寸断されたりしていますが、災害復旧の為にクルマがかろうじて通行できるようにされています。壊れた橋や学校も見ることができましたが、それはまたこの報告の趣旨ではないので、あまりに悲惨な写真のアップはいたしません。 言えることは本当に被害の大きかった地区ほどすでに瓦礫の撤去も終わって、ただ茫漠と草むらが続くばかりなのですね。よく見れば道や建物のあった痕跡を見つけられても、一見すればそれは草原にしか見えない…災害から半年で雑草たちはすでに新しいテリトリーを作り上げてしまっているのでした。 ここがいずれ、われわれの活動の場所になるのだと思うと慄然とした気持ちを抑えることができなくなりました。 おそらく、この場所に立った多くの方たちが、同じ思いに打ちのめされ、それでも力強く歩き始めたことなのでしょう。 道路の傍らに残った1本の樹です。 下枝のほとんどが津波で枯れてしまっていても、上のほうにはまだ緑を残して力強く立っています。 なんだかまさにこの土地に残った人々の姿をそこに見たような気がしました。 ストロベリーラインを北へ。 山下地区に戻ると被災地の様子は一変します。 比較的被害が小さかったというこちらは、つまり建物が瓦礫とならず、半壊状態の建物として壊すに壊せない生殺しの状態が続いていました。 延々とつづくそうした住宅を見ると、不思議なことに被害の大きかった坂元地区よりさらに大きな悲壮感があり、痛々しい現実を突き付けられます。 しかし、この町もまた復活させなくてはならない。 この景色を先に見ていたら、わたしの花のお届けはまた違っていたものになっていたことでしょう。 あの仮設住宅で出会った一人一人の方がこうした現実を抱えていらっしゃって、一人一人の背景にこの景色があることを実感してしまったら、わたしははたしてあの笑顔を持続させることができたのでしょうか? 仮設住宅のみなさんの笑顔はすでにそうした時間を越えた力強いものだったのだと、改めて思い知りました。 もちろん、役場のみなさん、学校の先生方、あの明るく元気な子供たちや花ボランティアのみなさん… その多くがまたこの現実を直視してこられたのですね。 ここにもまた潮で茶色く枯れた田畑が広がっていて、その先の国道へとつながっていました。 最後に山元町を見下ろす四方山の展望台に登りました。 ここから見下ろすと被害の状況がよく分かります。 ここに押し寄せた巨大な津波の映像を被せると、人の営みの小ささ脆さを感じないではいられませんが、でもわたしはすでにこの町の至る所で力強く復興に立ち上がった大勢の人たちを、その名前から表情まで知っています。 不思議ですね。 そういう思いでこの景色を眺めるとこの津波と地震でボロボロにされた町が何とも言えず生きる力に満ち溢れているように感じてきます。 そして数年後にはこの景色が一変していて、住宅の数も、緑の量も、いっぱいに増えている情景が信じられるのでした。 最後に…走りながら食べるパンを買おうと立ち寄った隣町のコンビニの近くに、素敵なガーデンを見つけました。 秋色に上手にまとめられたコテージガーデンといった趣きですね。 山ひとつ隔てた海沿いの町にも、どうかこうした景色がいっぱい生まれますように! さらにわたしたちも力を尽くしたいと思います。 いけない。 ひとつ忘れ物です。 昨日、帰路について東北道を走行中のわたしの携帯に、武内さんからメールが届きました。 花鉢をお届けしたお宅のうち、ご不在だった方からお礼のメールをいただいたので、ぜひみんなにも届けたい、と。 戸口に立派な鉢に綺麗なお花。 どうもありがとうございました。 地震前まで野良仕事に励んでいたのに 今はねてばっかりのばあちゃんもよろこんでいます。 笑顔が、またひとつ生まれました。 活動はさらに続きます。 みなさまからの支援に加え、温かい応援のメッセージをお待ちしております。 ご協力頂ける方は以下のサイトからご連絡をお願いいたします。 HANA sakaso プロジェクト with mother Love |