花と樹と風と土 ガーデン工房 結 -YUI- のガーデン通信
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明日には小野田君が双葉町を記録した映画「HOME TOWN」の上映会が開催される。 そのモニタリングポストによれば、空間線量の値は0.39μSv毎時。第一原発からの距離を考えれば、ずいぶんと低くなったと感じられる。それでも一般的な場所の6.5倍。事故当初の値は計り知れない。 今回、小野田君が撮りたかったのはこの巨大ダルマだったという。 かつて双葉町の一大イベントであったダルマ市の「巨大ダルマ引き」。 ダルマ市そのものは、双葉から避難した町民の皆さんが多く暮らすいわき市の仮設住宅で継続されているが、ダルマ引き自体はこれまでずっと開催が見送られてきた。 町が大きく北と南に分かれダルマの両側に付けた縄を引き合い、3度の勝負をして北が勝てば豊年満作、南が勝てば商売繁盛。町中の人が参加するとても大きなイベントであったとのこと。 その巨大ダルマがここに眠っている。 「でも、来年のダルマ市ではどうやら復活しそうなんです」 小野田君がそう語った。 (実際そのダルマ市に、われわれは今年の1月19日訪ねていき、復活を見届けることになる。ダルマは新たに製作されたものを使用した。だからこのダルマは今もここで眠り続けている) 役場を離れて国道に向かう際、その下をくぐることになるアーチ。 そこには「原子力豊かな社会とまちづくり」とある。強烈な皮肉としてこれまで何度も映像として取り上げられてきた。 もう一箇所、双葉駅に通じる道に架かる「原子力明るい未来のエネルギー」の標語看板と共に、落下する危険があると言うことで、この年の終わりから今年1月に撤去工事が行われることになった。 過去の過ちに対する反省として残すべきとの声は、標語を小学生の時に作ったという大沢さん始め町の人々から多く上がり、町は一転して処分をやめ、別の形での展示を検討することになったという。 ここで双葉町役場のある海側から市街地に戻る。 この時またふたつのゲートを通過する。 小野田君がかつて通った双葉中学に続く通学路。 この場所も繰り返し小野田君が撮り続けている場所だ。 今そこに除染作業で発生した放射性廃棄物の「仮置き場」が建設されている。 そこに彼は黙々とカメラを向け続ける。 季節は秋。 通学路に枝を伸ばす柿の木には、柿の実がたわわに実っていた。 この柿の実を食べる人間はもちろんいない訳だが、そんなことと関係なく柿の木は毎年その実を実らせる。それが生命の営みの本来の姿で、何一つ不自然なことはない。 不自然な姿をさらしているのは、われわれ人間たちだけなのだろう。 などとわたしが感慨にふけっている時、小野田君とアンソニーが随分と長い時間を掛けて話し込んでいた。 後で訊いたところ、二人はそこで「故郷」という事についていろいろ考察をしていたのだという。 なんだか哲学めいた話をしていたと小野田君は笑う。 故郷を英訳すればそれは「HOME TOWN」だろう。 それはアンソニーとフィリップの写真展のタイトルであり、明日上映が予定されている小野田君の記録映画のタイトルでもある。 ここは小野田君にとっての文字通りの「HOME TOWN」。 そして英国人のアンソニーもまた、ここを「HOME TOWN」と言ってはばからない。 ここで小野田君が、どこか行きたいところはないかと訊いてきた。 市街地に戻ってもう一度撮りたい「絵」があるが、それはもう少し陽が西に傾いた時間帯が良く、それには少し時間があるのだという。 貴重な時間を割いてもらうつもりははじめから無かったが、それでも双葉に入ることが出来たら、一度訪れてみたいと思っていた場所が一箇所だけ有った。 双葉ばら園。 民間で運営されているローズガーデンとしては日本で最も美しいと言われた場所である。 震災の前年6月の写真を双葉ばら園のブログから拝借した。 ただバラが美しいと言うだけで無く、空間の作り方、修景の工夫など、とても良く作り込まれた庭園であることがよく分かる。 そして、ご夫婦で50年という歳月をかけて育てられたバラが7,000株。 多くのファンに愛されたそのばら園は今、見る影も無い。 別の場所で再開されてはどうかという声に応えられないまま、オーナーの岡田さんはいまも新しい一歩を踏みあぐねていらっしゃると聞いた。 当然だろうと思う。 岡田さんにとってのばら園はこの場所にしか存在しない。 そのばら園が荒廃していく様を、ただ黙って見送るしか無いその心境は察するに余り有る。 園内には勿論立ち入れないから、撮れる写真には限りが有る。 われわれがその場所に滞在した時間はわずかなものだった。 そしてこの、美しい緑に囲まれた場所の空間線量。 1.65μSv毎時。 この日計測した中で最大の値だった。 山には線量の高い場所がたくさん残っている。 その山を下る。 15時30分には双葉町を離れなくてはならない。 市街地手前、常磐線の復旧工事現場。 常磐道の開通工事もそうだったが、この高線量地帯での工事は大変だろうと思う。 まして常磐線のこの場所での再開が、実現する日がいつか来るのだろうか。来るとすれば、その時には町の人々が帰還していることになる。 その日が本当に来るのかと、今は不謹慎でもそう思わざるを得ない。 市街地での撮影が再開される。 わたしは小野田君の撮影の邪魔にならぬよう、カメラの死角に入ってそこで町を撮った。 この町にかつて人の行き交った頃をわたしは知らない。 その知らない町の、今の無人の様子を見る。 人の行き交う様を想像することは出来る。 人々の笑い声すら想像することは出来る。 でも実際にはただ、荒廃を続ける痛々しい姿があるばかりだ。 この町に入って、具体的に何が出来ると思ったわけでは無いが、でも入って町の今の姿を知れば何をすれば良いか、自然と分かってくるのではないかと思っていた。 小野田君もアンソニーもフィリップも、口を揃えて、 「双葉町の今の姿を少しでも多くの人に伝えて欲しい」 そう言ってくれた。 リアルタイムで発信し続けた町の様子はFacebookの多くの仲間たちが見てくれたし、様々な反応を示してくれた。 でもやはり、実際に訪ねてみないことには分からないものがある。それは今回の震災の被災地全体についても言えること。 しかしここでは「ここを自分の故郷と重ね合わせて」、さらに深めて「ここを自分の故郷として」感じること、が必要だと思う。 英国人のアンソニーとフィリップに出来ることが、われわれに出来ないわけが無い。 そしてそのふるさとを「喪失すること」の意味を知らなくてはならない。 双葉町は、どこか遠い特殊な場所では無い。 われわれのすぐ隣にある、ごく普通の場所で起こったことなのだから。 |