祝!井出さん復帰記念の告発シリーズです。
本当はいろいろとデータを揃えて公表したかったのですが、さすがに12月に入って睡眠時間が激減していますので、今回まずはエッセイ風に。
今から9年前と8年前の冬、わたしはとあるダムの建設現場にいました。
庭づくりの仕事に携わって25年になるわたしですが、その間にはきっちり7年間のブランクがありました。
その間、わたしは橋脚を建て、道路を作り、トンネルを掘り、そして極寒の地でダム建設の付帯工事に携わっていました。
9年前は地滑り対策工事、8年前は付け替え県道建設工事で、共に中堅ゼネコンの下請けの現場責任者として現場に入り、ダム建設工事の実態をつぶさに見てきました。
それはまさに地獄でした。
そのダムもまた、現在建設中止が話題となっているダム同様、関東地方の治水と利水の両面から必要性が唱えられ、国家事業として推進されてきたものです。
ただ、本体着工と前後した頃に取り上げた新聞の記事が正しければ、計画段階で想定していた人工増加が見込めなくなったため、利水面での有効性はすでに無いとのことではありましたが…
いずれにしてもダムの本体はすでに完成しています。
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ダムは完成した後、一旦満水にして、しかる後、その水を全部抜いてしまうそうです。
水を抜くことによって発生する地滑り箇所を確認して補強するという作業が必要だからだそうですね。
ですから、ダムはその本体完成の後に、無限大の費用が実は発生するのです。
…あまり知られていないことではありますが。
さて、
わたしの最初の仕事は、まだ本体建設中にあらかじめ地滑りが予測できる箇所の対策工事。
地滑り地帯の斜面に降りていく工事用道路を建設し、ロックアンカーを打ち込むための受圧コンクリートを打設するという危険きわまりないものでした。
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季節は秋から冬に向かおうかという頃。
その年は特に雪が多く、50センチほどの積雪が何度かあり、現場が山の北側に位置していた為、その雪がいっさい溶けずに凍結して最後には2メートルに達し、平均気温は零下10度を下回るという過酷な環境での作業でした。
受圧コンクリートの打設はまさにその雪を削り、たたき割って谷底に掃き落とし、さらにガスバーナーで氷を溶かしながらの作業となりました。
おそらく素人の方なら誰しも感じる素朴な疑問があります。
「どうして、そんな寒い中工事しなくてはならないの?」
そして、専門家ならだれでも分かる常識的な疑問もあります。
「その気温の中でまともなコンクリートが打てるの?」
「除雪や融雪に掛かる経費は無駄ではないの?」
まったくその通り。
暖かくなる春まで現場をいったん閉鎖し、春になってから再開すれば作業は楽だし、品質も高められるし、何より大幅なコストダウンが実現できるのです。
しかし、そのごく常識的で当たり前の疑問や意見は、ダム建設の最高責任者によっていとも簡単に一蹴されます。
それでは間に合わないだろうが!
工期は決まっています。さんざん遅れているのでもう後はありません。
予算もきちんと消化して行かなくてはなりません。
雪や防凍対策で余計に掛かる予算は、胸を張って堂々と増額できるのです。
当時、その人の言葉は「神の声」と呼ばれていました。
かくして現場では数多の地獄が現出しました。
凍結による転倒事故、除雪作業中のケーブル切断、打設したコンクリート温度を下げないためバーナー運転の不眠監視、凍傷…
しかし最大の悲劇は、ようやく雪が溶け始めた春に訪れました。
溶けた雪の下から覗いた吹き付けコンクリートに深い亀裂が発見されたのです。
急激な温度変化による膨張収縮によって発生したクラックに雪解け水が侵入し、それがさらに凍結融解を繰り返した結果です。
しかし、施工ミスの可能性を指摘された現場は破壊検査をして、コンクリートの厚さ不足、金網の設置不備(コンクリートの厚みの中央に納まっていない)が発見されたために、全面吹き直しの命令が下されました。
神の声によって。
わたしもすでに自分の仕事を終えていたのにもかかわらず、その補助作業で留まることに…。
請負者である中堅ゼネコンの現場責任者は解任。
当然、利益は大幅に減…どころか結局赤字に終わったという噂もありました。
ひと冬、雪と氷と戦い続けたわたしに、何一つとして達成感も充足感も残ることなく、残ったのは十二指腸潰瘍と満身創痍の肉体だけでした。
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わたしには別の素朴な疑問がありました。
このダムは、本当は造ってはいけなかったのではないか?
わたしが関わったのと同様の現場が数十箇所も存在するのです。
あちこちで地滑りが発生しているのです。
ダムサイドの工事用道路は幾ら手当をしても沈下が収まらないと聞きました。
付け替え道の建設予定地には土砂ではなく、「れき」の堆積地帯もあると言います。
このような地滑り地帯に本当にダムを建設していいの?
ダム本体の工事よりも地滑り対策の方にお金が掛かるダム工事ってなに?
おまけに紅葉の景勝地の一部をダム湖の底に沈めてまで、建設する意味が今となっても本当にあるの?
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もう二度とダム関連の工事をしたくないと考えた私でしたが、社命とあれば仕方なく、次に赴いたのは付け替え県道の現場でした。上の写真のように完成してしまえば何と言うことは有りませんが、この現場でも様々な地獄が待ち受けていました。
当時、このダムの建設現場に従事した同業の現場監督の間で、ある伝説が囁かれていました。
ここの仕事を終えて戻ってきた監督はいない。
みんな退職するか身体を壊すか家庭を壊すかするから…
道路を建設しようとするその場所は掘っても掘っても崩れ、地盤を補強しようと注入したセメントミルクはとどまることなく際限なく入り続け、工事は難航しました。
歩くたびにほこりが舞い上がる工事用道路。大雨のたびに流される仮設橋。その都度、吊り橋を使って人力で行う資材の運搬…
朝の5時には家を出て現場を出るのは11時すぎ。
片道一時間半をかけて現場と往復し、夜中に家に戻っても数時間しか眠れないのなら、いっそ現場で寝てくれと、家内に泣きつかれたりしました。
それでもようやく極寒の冬ももう少しで乗り切れるという頃でした。
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2月になって、近くの山でクマタカの営巣が確認されました。
そして、われわれの工区には工事休止の命令が下されました。
休止期間はクマタカの雛の巣立ちが確認されるまで、です。
隣の工区は作業継続が認められました。
たった数百メートルの距離しか離れておらず、騒音や振動が周辺に与える影響はうちの工区とさほど変わらないのになぜ?
それは本体工事の工期に影響を与える工事内容だから…
と、これは噂として聞こえてきた声でした。
ダム建設現場の誰もが知っている、あくまでも噂でした。
クマタカの営巣を確認するのもダム建設事務所。
工事休止と再開を決めるのもダム建設事務所。
外部組織を入れないのは、情報をコントロールするため。
それでも握りつぶさずに営巣を公表するのは、自然環境に配慮した工事であることをアピールするため。
…これも噂です。
毎年のようにこのようなことが繰り返され、それでも本体と本体関連の工区だけは休工になることはありませんでした。
その都度、多くの業者が泣いてきました。
膨大な仮設施設はただ置いておくだけで一日数十万という経費が掛かり、撤去・再設置するにもかなりの費用が掛かります。
定期的な会議への出席や現場管理は義務づけられているため、請負業者は現場から離れることが出来ず、ここでも人件費が飛んでいきます。
鉄筋を組み上げた時点で中止命令が出れば、その間ずっと鉄筋が錆びないように管理し続けなくてはなりません。もちろん全て業者の自腹ではありませんが、国が補填するとすれば、出所はすべて税金です。
休工の事態にわたしは最初呆然とし、現場閉鎖のためにしばし慌ただしく走り回りながら、じつは内心でほっとしていました。
わたしはその二度目の冬に十二指腸潰瘍を悪化させ、帯状疱疹を発症させ、歯痛と腰痛に苦しんでいました。
このままではダムに殺されると思い、死ぬ前にもう一度、庭づくりの会社を立ち上げる夢を実現したいと願い、休工と同時に会社に辞表を提出しました。
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慰留されたわたしは、その後関連会社に出向し、庭づくりの傍らキャンプ場を立ち上げたり、温泉施設の源泉管理やミネラルウォーターの販売に携わり、健康も取り戻し、それが4年後の独立開業に繋がっていくのですが、ダム現場の地獄は今でも夢に見ることがあります。
結局、クマタカの雛は巣立つことが出来ず、再開された付け替え道路工事の現場では失った工期を取り戻すべく昼夜兼行の突貫工事をし、あげくに死亡事故を起こしたと聞きました。
地獄はわたしが抜け出した後も、際限もなく続いていました。
どうしてクマタカが飛ぶような場所に、クマタカが飛ぶたびに工事を中止しなくてはならないようなものを作る必要があるのか?
どうして人の心と身体をただただ疲弊させ、あとに悲しみや恨みしか残さないような仕事を、巨額の予算を投じてまで継続しなくてはならないのか?
わたしには今も分かりません。
分かりませんが、その時に学んだことが現在の仕事の根底には常に存在するのです。
作り手が疲弊するようなものには人を癒す力はない。
自然の摂理に反して産み出された存在は、結局だれからも愛されることはない。
本当に人々から必要とされるものを産み出す者には、必ずよい報いがくる。
そうと分かれば、自分の作るべきものは自ずと分かってきます。
…いずれにしても、わたしがダム建設に心から賛同することは、この先ずっと無いと思います。