昨日の井出さんのプログにもありましたが、今日であの阪神淡路大震災から15年目を迎えました。 数々の思いはありますが、ここではやはり井出さんと同様、あの時のことを教訓としてしっかり胸に刻みたいと思います。 実はこれから先の記事に対応する写真はありません。 ただ、それでは余りに読みづらいでしょうから、昨年の夏、震災の年に離れて以来、実に14年ぶりに訪ねた神戸で撮った写真を掲載させていただきます。 案の定、ガーデンの写真ばかりで記事の内容とはまったく関係ないのですが、ささやかなサービス精神と理解いただき、どうかご容赦下さい。 1995年、神戸の造園土木会社に勤めていたわたしは、震災の直後から取引先である大手住宅メーカーの神戸営業所に詰め、各地の被害状況調査に出向いていました。 これまでにその会社の下請けとして施工してきた何十軒ものお宅を訪問し、被害状況を聞き取り、あるいは調査し、早急に対処しないとオーナーや近隣の生活に支障をきたすもの、対応は必要なまでも緊急を要さないもの、もはや対応のしようも必要もないものなど、それらを仕分けてレポートするという気の遠くなるような作業でした。 気の遠くなるような… 無理もないのです。 調査範囲は神戸市内から芦屋、西宮、伊丹にまで及ぶにかかわらず、移動手段はわずかな本数のバスとあとは足だけでしたから。 実際のところ、安全靴にヘルメット、リュックサックを身につけて、瓦礫の山を乗り越え乗り越えての毎日でした。 あまりの被害状況のむごさに、ともすれば意気が萎え気が沈み、蓄積した疲労で道路に座り込んでしまうこともたびたびでしたが、不思議なことにそんな私に声を掛けて元気づけ、焚き火や甘酒で暖をとらせてくれたのは、被災者のみなさんでした。 「ありがとうな、がんばってや」 「ご苦労さんやな、大変やろ」 人間はここまで強くなれるし温かくなれるもんなのだと、涙腺が緩みっぱなしの毎日でした。 さて、そんな被害調査の結果です。 実際に早急に手当が必要だと報告した事例はわずかなものでした。 ほとんどがそのレベルを超過しているのです。 確かにブロック塀が倒壊し、玄関前のアプローチも瓦礫で塞がれているにしても、それ以前に道路が陥没している、隣家が傾いて建物を圧迫している、地盤が浮動沈下を起こしている… あるいは、周囲が焼失して徒歩以外ではたどり着けなかったり、まず倒れた近隣住宅の撤去が先だったり、オーナーの避難先が不明で連絡がつかなかったり… 優先されるべき外構の復旧工事など、そう多くはなく、われわれは出来るところから少しずつ対応していくしかありませんでした。 そして、さすがに業界一二を争うトップメーカーだけに、地震そのもので建物に損傷が発生したお宅は皆無でした。 わたしが担当したお宅のうち、建物に被害が及んだのは僅かに2軒。 近隣の出火による類焼で焼失したお宅が1軒。 地盤の液状化現象で土地が動き、建物全体が傾いてしまったお宅が1件。 特に火災で全焼したお宅は、前年の年末に庭の工事を終えて引き渡したばかりのお宅でした。 また、年末に着工してその1月より本格施工に入る予定だったお宅もありました。 こちらはまったくの無傷でしたが、古い家屋の建ち並ぶ地域の中の新築物件だったので、その周辺の家屋全てが倒壊してしまい、そのお宅1軒だけがぽっかりと残る景色は、一種異様ながらとても衝撃的でした。 住宅メーカーとしてはまたとないピーアールの機会だったと思います。 大震災のなかで1軒だけ無傷だった**ハウス… それはセンセーショナルな写真でした。 …後日談があります。 「あまり気乗りしないのだけど」 と、住宅メーカーの営業マンからの依頼があり、 他はさておき、あのお宅の外構を先に進めてはもらえないか… 本格的な広告媒体にする為に外構もそこそこ綺麗に仕上げたいとの上の意向が有ったとか。 わたしは即座に断りました。 他にもたくさん先を急ぐ災害復旧工事があるし、何よりも周辺の住民感情を考えたらそんなこととてもじゃないけど出来っこない。 そんなことしたら、石をぶつけられるでぇ。 …むろん、わたしはそんなことで石を投げるようなご近所でないことは重々知っていましたが。 結果的に我々は、そんなむごい仕事をしなくても済みました。 実際のところ、折り重なって倒れた何十棟もの周辺の家屋の解体撤去が済むまで、工事車両はそのお宅に近づくことさえ出来なかったのです。 さて、調査の中で、数多の倒壊したブロック塀を見ました。 井出さんのおっしゃるように、そのほとんどは無筋か、配筋がなされていても規格に満たなかったり、定着(複数本の鉄筋を連続して設置するときに定められた重ね合わせの長さ)されていなかったり… しかし、仮にしっかりとした配筋がなされていたりしていても、倒壊したブロック塀もありました。 軟弱な地盤上に施工されたものは基礎ごと倒れていました。 丸棒と呼ばれる鉄筋などは戦前の施工だったのでしょうか。すでにブロックの中でボロボロに腐蝕していました。 ブロックそのものがすでにボロボロだったりするそうした古い時代の塀は、まず例外なく無事ではありませんでした。 もちろん地盤全体が隆起・沈下した場所では、すでに手抜き以前の問題として被害が発生しています。 あのスケールで被害の状況をつぶさに見せつけられたのです。 わたしの価値観も大きな転換を迫られることになりました。 それは地震に耐えられる構造物を造らなければならない、というレベルでは許されないものです。 地震で倒壊してその結果人命を奪う可能性のある構造物など、そもそも造ってはいけないのだ、と… それがわたしの到達点でした。 門柱も、1メートルを越すブロック塀も、カーポートもパーゴラも造るべきではない。 はい。 それは完全なる自己否定でした。 突き詰めれば、ありとあらゆる文明すら否定することになる極論でした。 実際、神戸を離れたわたしには自分のしたい庭造りが見えなくなり、まあ、それ以外の事情もあって外構でも造園でもない、一般土木の職に就きました。 それから後のことは、先に書いたダムに関する記事の中で、少し触れています。 そして、わたしは結局また、ここに戻ってきました。 もちろん、今もあの時の極論を唱えるつもりはありません。 ただ、わたしのしたい仕事の根底にあるのは、結局のところそういうことなのです。 わたしのつくりたい庭は、巨大な地震に耐えるだけが取り柄の庭ではなく、 当然ながら、焼け跡の中にぽっかり生き残ってそれを自慢できるような、そんな大手住宅メーカーが求めるような庭でもありません。 強いて言うなら、そう、 あの被災地の瓦礫の中で疲れ果てたわたしを手招いて、焚き火に当たらせてくれた、あのおばちゃんやおっちゃんたちが見て、 綺麗やねえ、 気持ちがええねえ、 と喜んでくれるような庭でしょうか? 彼らにはきっと派手な門柱や、ぐるりと高く囲った塀など、無用なものでしょうからね。 ホームページもぜひご覧下さい! http://www.yui-garden.com/