京都の造園日誌
無事に帰って。ご報告とお礼。
ニックネーム: グリーンプラス
投稿日時: 2011/04/23 21:36

こんばんはニコニコ(男の子)高橋です。

久々に庭ブロの絵文字を使えています(笑)

 

石巻から京都へ無事に帰ってきました。

今月の16日に救援物資を宮城県の南三陸町へ届け、

その後5日間石巻で災害ボランティアとして活動してきました。 

ご提供いただいた皆様、 この活動に賛同し、ご協力いただいた

皆様、本当にありがとうございました。 

 

 

この場をかりてご報告させていただきたいと思います。

 

救援物資は車に満載し、京都から走ること12時間、

約1000キロ先にある南三陸町の仮設の役所や避難所となっている、

ベイサイドアリーナへ届けてきました走る

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物資担当の大森さん。皆様から頂いたメッセージは総合受付に

置いていただけるそうです。 

 

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南三陸町は「町」と呼ばれるものが無くなっています。

鉄骨やRC造以外の建物は跡形も残っていません。

 

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建物に絡みつくカキ養殖の網。

津波の規模がどれほどのものか物語っています。

 

避難所の様子などは全く撮る気になれませんでした…

 

 

翌日からは石巻市での災害ボランティアを。 

石巻には毎日1000人規模のボランティアが6名程度でグループを

つくり、被災したお宅のゴミ捨てや泥だしを行っています。

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公道に出されたゴミは全国から集まった業者や自衛隊が

一時保管されている場所へと運んでいきます。 

私が活動していた地域では一階部分が浸水していて、

2階に住みながら家の片付けをしている方もいらっしゃいました。

 

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石巻は海岸沿いに工業地域があったのが津波の勢いを和らげた

一因だそうです。 それでも亡くなられた方は多いですが、

足の不自由な住人の方からは、そのおかげで2階に逃げただけで

助かることができたという話を聞きました。 

しかし、庭の掃除をしていると工場から流れてきた紙のロールや肥料、

丸太などが多く、復興の妨げにもなっています。

 

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ボランティアの活動場所はこれから、

より被害の大きい場所へと移っていきます。

コツコツと続けていくことが大事だと思います。

また、今後心のケアの問題も出てきます。 

ボランティア作業の合間に、現地の方のお話を聞くだけでも、 

少しでも不安感が取り除けるのではないのでしょうか。

 

被災地を見てきた人が、何が必要なのか伝えるだけでも

次の状況は大きく変わると思います。 

いま私たちができることをちょっとでも行えば

被災地に住んでいる方々や、支援活動を行う方々の

負担が少なくなります。

その分、前へ進む力が大きくなります。 

一緒にコツコツ、頑張っていきましょう!

 

 

 

 

 

 

 


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