お盆休み、のんべんだらりと過ごしておりましたが、
折角のお休み、何も何処も行かないのも勿体無いので、
ちょびっと近場のお寺散策に出かけました。
少しばかりご紹介させていただきます。
毎日毎日猛暑が続いてた中、お寺巡りはちょっとどうかと思いましたが、
街中のお寺を外せば少しは暑さもましか・・・と、地図帳とにらめっこ。。。
すると、嵐山近くの嵯峨釈迦堂藤ノ木町にある「清凉寺」という文字が・・・
文字を見るからに涼しげじゃあ〜りませんか。
涼みがてら行きましょ・・・ってことで、
バイトがお休みだった次女といざ出発U+203C
・・・・と言っても車で20分U+203C 近っU+203CU+203C ヾ(´Д`;●) ォィォィ
さすがに暑さとお盆が重なってるせいか、人もまばら・・・
シメシメ・・・と思いながら車を降りると、
涼しさは何処へやら・・・・・
広い敷地に敷き詰められた砂利の照り返しもあって、
「熱〜〜〜っU+203C」 ( ̄- ̄=)あぁ…
・・・・・・・・・・・・・(-_-#) ピクピク
名前が涼しげだからって、そんなに涼しいわけないよね〜。。。。。((´∀`*))ヶラヶラ
それでも、折角来たのですからしっかり拝観することに・・・(・・ )( ・・)キョロキョロ
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清涼寺の前身は、光源氏のモデルとされる嵯峨天皇・皇子の源融(みなもととおる)の
山荘「棲霞観」(せいかかん)で、融が亡くなって棲霞寺と改めらたが、
天慶8年(945)醍醐天皇・皇子の重明(しげあきら)親王が亡き妃のために
新堂を建て釈迦如来を安置した。これが釈迦堂の名前の由来とされ、
京都十三仏霊場第二番礼所である。本堂(釈迦堂)に安置されている本尊は、
日本三如来の一つで三国伝来(インド〜中国〜日本)の生身の釈迦如来として
尊祟されています。 清凉寺
どっしりしたつくりで見ごたえのある造り。
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本堂の中は撮影禁止だったので写真がありませんが、とても広く、
途中、お坊さん?がお寺の由来などを説明してくださいます。
その本堂を抜け、戦争犠牲者の霊を弔う忠霊塔、弁天堂(摩尼殿) を拝観。
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またその奥へ進むと江戸時代、小堀遠州が作庭したとされる枯山水庭園があり、
その横には写経を書けるスペースが設けられていました。
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まるで時間が止まっているような清々しい空間に身を置きながら、
日頃、雑念だらけの自分をちと反省・・・
暫し、その景色と清々しい空間を堪能し、
出来ることなら、桜か、紅葉の時期に又来たいと思いながらある場所へ・・・(・-・*) ヌフフ
次回へ続きます・・・・。
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