「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
女性の美しさのたとえとして引用されるこの言葉を聞いたのは
高校生の古文の授業だっただろうか?

百合は知ってても
ボタンもシャクヤクも教科書の歴史上の花のような記憶
今は
「王者の風格」
「高貴」
「壮麗」
そうねぇ〜と頷ける。
か弱そうでしっかりした花びらは、
雨に叩かれ風に吹かれ姿は変われど
どっしりと構えている。
些細なことで揺れる自分が恥ずかしい
どっしり(?)これは出来てるが
儚げな美しさは どこに置いてきたのか?とボタンを眺めつつ問いかけてみる。