花と樹と風と土 ガーデン工房 結 -YUI- のガーデン通信
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新年のご挨拶がおそくなりました。 11月の活動の後、武内さんたちが改めて学校を訪れて学校に植えたモミの木に、地元の皆さんをはじめみんなで作ったオーナメントや願い事を書いたカードをラミネートして飾り付け、 ワイズティーネットワークの根本さんによる紅茶教室とティーパーティーのお手伝いをしたり、 その他さまざまなワークショップに参加させてもらいました。 そこには全国から集まったボランティアのみなさん、それから地元のボランティアのみなさんが集まって被災者のみなさんをお迎えしたのですが、学校全体に活気があふれてどのブースも満員の人だかり… 今回わたしは地元中学校のPTA仲間と生徒を連れて参加したのですが、みんなそれぞれに役割を果たせたしそれぞれが楽しむことも出来たし、良い経験ができたととても喜んでくれました。 一方で冬の被災地は寒々として冷たい風が吹いていました。 ただ、11月にみんなで播いた菜の花はしっかりと芽吹いていました。 これには娘もひと安心…自分の播いた種だけが出なかったらと、少し心配していた様子でしたから。 武内さんがビオトープだと言っていたわき水のまわりのセリたちは今も健在。周囲でそこだけが濃い緑を残していました。 仲間たち家族と被災地をめぐりながら、いろいろ思う事がありました。 確かに遠方に住む者としてはよほどの事がない限り被災地に出向く機会は少ないし、それは物理的な障害や理由付けが難しいだけではなくて、気持の上でもそれはとても重く、後ろめたかったり申し訳なかったりする心情があるのは確かで、そのことはわたし自身も最初はそうだったからとても良く分かります。 だからわたしは地元中学校の講演会の中で、生徒たちにはっきり伝えたいと思っていました。 それでも、震災から間もない時にあれだけの義捐金を集めて被災地に届けた君たちには、被災地の現状を知る資格があるし権利があるのだよ、と。 本当は今回のボランティアへの参加も募りたかったのですが、学校教育の場でさすがにそれを公然と行うことは許されず、父兄への呼びかけに留まってしまったのが残念でした。 前回の活動の中でも被災地のど真ん中である坂元駅前で土を運んだり種をまいたりしていると、本当に多くの人がそこを訪れていました。われわれを気にすることなくしっかりその景色を胸に刻んでいってもらいたいと思うのですが、多くはすぐにクルマをUターンさせてそそくさと戻っていきます。やはり興味本位で被災地を見学するようで、それを後ろめたく感じてしまうのでしょうか。 わたしは思いました。 興味本位でも物見遊山でも野次馬根性でもなんでもかまわない。 一人でも多くの人が被災地の今を見ておくべきなのです。見れば最初は興味本位でしかなかった気持ちがどんどん変わっていくはずだし、心に刻まれたその景色がこれから長く続いていく復興の中で、次のアクションを生み出す契機になるかもしれません。次の世代に語り継いでいくその言葉の重みが増すはずです。 このことはわれわれの生きた時代に起こった「歴史的事件」なのであって、われわれにはそれを正しく知り、後に語り継いでいく責任があるのですから。 それは特に子供たちについて思いました。この先最低でも10年は掛かるであろうという復興事業の担い手はまさしく彼らなのだから、まず彼らが自分のこととしてこの震災を認識しておく必要があると思います。それも出来ることなら直接に見て、触れて、被災した方とも会って、話して、身体全体でこの事件を知って感じておく必要があると思うのです。今はすぐにそれが次のアクションにつながらないにしても、来るべき時にそれは必ず役に立つはずです。 だから被災地におけるわたしの次の仕事は、一人でも多くの子供たちをそこに連れて行くということだと思うし、この年に中学校のPTA会長を任されたということも、中学校で講演する機会を得たということも、まったくの偶然ではないように思えるのです。 上の写真は被災地の真中で見つけた風景。 明らかに震災の後に作られた小さな畑と田んぼです。 畑には数本の大根を収穫した痕もありました。 田んぼは本当に小さなもので、その収穫量は取るに足らないものだったと思います。 でもその風景の中にとても力強い意志を感じました。 生き残った者で再び町を復活させる…させてみせる。 子どもたちにはただ悲惨な景色だけでなく、合わせてこの風景も見せてやりたいと思います。 以下の写真は山下中学校の復興イベントの中で、子どもたちが自分たちで行ったワークショップの様子です。 山下中学の生徒さんたちの他に、われわれが連れて行った中学生たちや他のボランティアの子供たちも、それぞれにクリスマスツリーの飾りを作ったり小さな子どもに遊びを教えたりしていました。 つい先日、プロの音楽家の友人と話しながら思ったこと。 芸術家というのはその芸術活動を通して収入を得る人たちだと思うのですが、おそらくその収入は単なる労働対価ではなく、そのすぐれた芸術活動に対して高く評価する人々がその活動を応援するための支援金みたいなものなのではないのか、と。だから芸術家が自分の作品を公開して人々を楽しませるのは義務だし、人々はさらに質の高い作品を求め、投資の意味でさらなる資金を提供する… だから彼らの創作活動やその公開は、むしろ無収入であって然るべきだしチャリティーの方向に進むのは自然な流れだと思います。そのことはこの2日にCSで再放送されたap bank fes '11の様子を見ながらも強く感じたところです。 時々わたしが設計したり製作した庭を「向井康治の作品」と言ってくださる方がいて、それはそれでありがたいのですが、でもわたし自身はそれを芸術作品として見たことはないし、自分を芸術家と称したこともありません。むしろ忌避したいところです。 が、その仕事のスタンスは上記した芸術家のそれと同等であって良いと思ってます。 本当にいろいろな方の支援のおかげで多くを学ばせてもらってきました。 知識、経験、技能、資格…どれ一つとってもほとんど自腹で身につけたものはなく、本当に多くの方が資金や機会を提供してくださって与えて頂いたものです。 だから…それらはすべからく還元していかなくてはならないと思います。 わたしには後継者がいませんので、皆さんから頂戴した知識や経験を自分一人のものにすることが惜しく、自分の死でそれらが無に帰すことがなんとも悔しく、それを次世代に伝えるためにこのブログを始めました。 今回の被災地の活動もまた同じです。 わたしがこれまでに学んできたことが被災された方や被災地の復興のために少しでも役立つというのなら、今ここでそれを被災地のために使うのがわたしの義務だろうと思います。それはむしろ当然で、しないとしたらそれ自体が罪だと思うくらいです。 そのように恩返しのつもりで始めたことなのにも関わらず、その中で逆にわたしは被災地のみなさんや共に活動した武内さんをはじめとする仲間たちから、またまたたくさんのものを頂いてしまいました。 それらはこの先どのようにして還元していけば良いのか… だから、わたしは今年の目標に「少しでも多くの子供たちを被災地に連れて行く」ということを掲げました。 そして感謝の気持ちをこめてさらに良い仕事をする。 その仕事の中でたくさんの方に喜んでもらう。 そのような2012年にしたいと思うのです。 今年もよろしくお願いいたします。 よろしければ、ホームページもご覧下さい。 http://www.yui-garden.com/ |