花と樹と風と土 ガーデン工房 結 -YUI- のガーデン通信
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先日の京都研修の際のこと。 これまでも何度か訪れた京都の旅の起点は、たいていがこの辺りでした。 南禅寺の方丈庭園や未見の天授庵庭園、金地院庭園、無鄰庵の庭園、足を伸ばせば平安神宮の神苑も有るし、この辺りから琵琶湖疎水をたどる哲学の道の先には銀閣寺の庭園があります。 冬の京都で楽しみの一つは、苔の美しさでしょうか。 葉を落とした落葉樹の林の、木立の間をほとんど真横から差し込むようにして流れ込む陽の光が、思わぬ陰影を生んでそれはとても美しいものだと、一昨年の冬1月、西芳寺の庭園を訪ねたときに知りました。 が、この日の京都は曇り空でした。 だから、寒い。 戻ってから、やはり京都をこよなく愛するお客さまと話す機会があって、それでも京都の冬の寒さはこちらの寒さとどこか違うものがあるという話になりました。 冬も苔の美しい京都の空気は、おそらくとても湿潤なのではないかと思います。 だから乾ききった関東の刺すような寒さではなく、どこか丸みのある、ものの香りを運ぶことの出来る大気の冷たさなのでしょう。 今回は時間だけはたっぷりあるので、水路閣の上に登って、 琵琶湖疎水を遡ることにしました。 水路は東山の中腹、石垣の上を流れていますので、眼下には南禅寺の塔頭やその庭園、墓地も見下ろすことが出来ます。ただ、手すりも何も無いので、やや危険。 その突然開けた視野いっぱいに、とても広大な、苔と樹々に覆われた池泉回遊式庭園が見えました。 天授庵の庭園かと思いましたが規模がとても大きく、後にこれが今は未公開の何有荘(かいうそう)庭園だと言うことが分かったのですが、このときは訳も分からず、その庭園に注ぎ込む水音を聴きながらその美しさを堪能したものでした。 水路沿いの道はやがて蹴上発電所を経て、インクラインへとつながります。 インクライン=傾斜鉄道は琵琶湖疎水工事の一環として、大津と京都を結ぶ舟運のうち高低差の大きな箇所に造られた舟を運ぶ鉄道なのだそうです。森見登美彦氏の小説にも登場します。 京都においては近代の遺産さえもどこか妖しげで哀しげで、そして美しい。 ここまでが初日の散策でした。 2日目。 昼までに研修を終えたわたしたちは、京都を出立する予定だった15時までのやはり2時間ほどの時間をいかに有効に活用するか考え… 結局は欲張らずに南禅寺まで戻って、初日に入園できなかった2つの庭を見学することにしました。 ひとつは天授庵。 南禅寺塔頭のひとつで南北時代の創建。 東側方丈前の枯山水の庭と、南側書院に面した池泉回遊式の庭園とに分かれています。 まずはその、方丈前の庭。 塀一枚隔てた向こうには南禅寺の巨大な三門がそびえ、そちらはそこそこ観光客で賑わうものの、天授庵のこちら側は静かなものでした。 細川幽斎の再建とありますので、こちらは江戸初期のしつらえでしょうか。 方丈を巡って路地門をくぐり、書院前の南庭に出ますとこちらは池泉回遊庭園。 こちらは南北朝時代の作庭という話ですが、 後の時代に大きく手を加えられているという話も聞きました。 寒空の下という事もありましたが、確かに時代を経た、古びた中にどこかに凜とした風情のある庭でした。 もう1ヶ所は再訪ながら、同行のS氏にぜひ見せたいと思っていた無鄰庵。 植治こと小川治兵衛と山形有朋による明治の庭です。 わたしも冬に訪れるのは初めてでした。 緑がとても濃かった夏の庭が印象的だった無鄰庵も、冬は人影さえまばらで淋しいものがありましたが、 やはりこの庭の魅力は、疎水の水をふんだんに使った流れの緩急でしょうか。 その辺りはちゃんとS氏にも伝わったらしく、今回訪ねた桂離宮を合せた3つの庭のうち、ここを一番気に入ってくれたようでした。 こちらこそ土塀一枚を隔てた向こう側は喧噪を極めた仁王門通りですから、この水の音に満たされた静謐な空間には、やはり得がたいものがありました。 短い訪問時間が何とも心残りで、次回はもう少し余裕をもって、出来ることならもう少し暖かい季節に… 再訪を誓って京都を後にしました。 遅い昼食は無鄰庵に隣接する喫茶「杉の子」。 これからの長距離ドライブが控えていますので、わたしは軽めのぶぶ漬けを頂いて、短い京都の旅を終えました。 よろしければ、ホームページもご覧下さい。 http://www.yui-garden.com/ |