花と樹と風と土 ガーデン工房 結 -YUI- のガーデン通信
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ちょうど1年前のこの日は曇り。 それも前日降り続いた雪がようやくやんで、式の終了後にはまた降るというつかの間の曇り空だったように記憶しています。 そういえば昨年のHANAsakasoプロジェクト最終回の報告がまだでした。 とても気持ちに余裕が無かったのだと思います。 前回の乗り込みは2日前の9日。関東地方の雨が北上するのと競争するようにして山元に入りました。 旧坂元駅前に追加で植え込む菜の花の苗は、すでに運び込まれていました。 初日はプロジェクトを通してずっとお世話になった、地元の花ボランティアの皆さんが手伝って下さいました。 寒風に耐えながらの作業となりましたが、昼前になってついに冷たい雨が降り始め、そこで断念しました。 2日目は朝から雪。 追悼式を翌日に控えていましたので躊躇無く、雪の中の植込み作業となりました。 どうにか植え終えて、学校に戻ってからも会場準備をお手伝いし、2日目を終えました。 追悼式当日。 各学校の子どもたちが作った紙の灯籠を会場に並べ、点火などのお手伝いと、 ワイズティーネットワークの根本さんが山元のリンゴを使って独自にブレンドした紅茶を、来場者の皆さんに振る舞うというサービスを行いました。第1回プロジェクトに参加して下さった山口良一さんの顔も見えます。半年ぶりの再会でした。彼の持ち前の明るさと気さくな人柄が、皆さんの気持ちをとても和ませてくれたと思います。 そして、追悼式に参列。地元の皆さんと一緒に献花を行わせて頂きました。 後になって届けられたその後の花たちの様子です。 4月下旬、菜の花が開花し、一緒に植えた球根たちも花を咲かせてくれました。 このように、昨年の3月11日前後は晴天に恵まれ続けたHANAsakasoプロジェクトには珍しく、悪天候の連続でした。 やはりその日を迎えた被災地の皆さんの哀しみには、到底叶わなかったのだと納得したものでした。 そして今年の3月11日もまた、前夜には雪が舞い、前日に続いて寒風吹きすさぶ1日となったのでした。 寄せ植えたちはすっかり元気になって山元の環境になじんだ様子。 式典会場である山下中学体育館に飾らせていただきました。 厳粛にかつ、心を込めて追悼式が行われ、今年もまた列席させていただき献花の列に加えて頂きました。 献花の後には山元の歌を作り隊の皆さんがを熱唱。 会場の涙を誘いました。 何度聴いても心に染みる曲だと思います。 そして式終了後、歌を歌い終えられたばかりの「子どもも大人もみんなで遊び隊」隊長である吉田和子さんに、皆野中学校の子どもたちから預った寄せ植えを託しました。 秩父の寒さにさらされて大きく育った苗たちですから、おそらくはこの東北の地でも力強く咲き続けてくれることと思います。山下中学の成毛校長先生にも子どもたちのメッセージを伝えることが出来ました。 役場や支所など、各所で今回お世話になった皆さんに感謝の気持ちを伝え(渡辺先生はこの日になって風邪でダウンされた様子です。〇〇のカクラン? お大事に…)、最後に旧坂元駅に向かいました。 この夜は町の被災した数カ所で、竹灯籠に火を点して亡くなられた方のご冥福を改めて祈っているのでした。 特に他に灯りの無い旧坂元駅付近では闇がとても濃く、ろうそくの灯りが生命そのもののように輝いていました。 お世話になった皆さんと別れ際についつい長話をしながら、今回しみじみ感じたことがいくつか。 まず、いつまでも今のような形ばかりの支援は、していられないと思いました。 復興には地元の皆さんの力強い自立こそが必要なのであって、このまま外部の支援者が何でも届け、何でもやってしまっていたのでは、本当の復興が遠のくばかりです。本音で言えばわれわれも今までのやり方の方がやりやすいのかも知れないし、達成感も伴うのでしょうが、渡辺先生に最初支援を持ちかけられたときのようにもう一度、支援の正しい形を考え直さなくてはならない時が来ているのでしょう。 それには一体どのような形が良いのか、今はまだ分かりません。 おそらくはもっともっと個別的に、場所ごとに考えていかなくてはならないのだと思います。 今日になって「みんなのとしょかん」で世話を焼いていらっしゃる地元の方と、電話で話すことが出来ました。 あの土地は地主さんから無償で借りているため、何かを作ったり植樹をしたりするのは難しいのだそうです。今後、みんなが集まる憩いの場にしていくためにはやはり買い取るのが一番良いのですが、土地をひとつ購入するのはなかなか大変なこと。これからもみんなで考えていきたいとの事でした。もちろん、ここは遠慮しないで協力を申し出させていただきました。 また、阪神淡路の時もごく身近な問題として思い知ったことですが、震災から2年が経過してそれぞれの抱える問題がとても多様化してきていると思います。一概に割り切った方法論はとれませんし、様々な矛盾や対立も発生しています。誰かを救うために行う事が、別の誰かを傷つけることになりかねませんし、誰かの利益は同時に誰かの不利益となります。 そのひとつひとつを丁寧に拾い、すべてに適うことは見つからないにしても、すべての声はしっかり聞いていかなければならないでしょう。それはすでに行政だけに任せられる事ではなくなっているように感じます。 ただ、いずれにしても、と言うかそう言った状況だからこそ、われわれの無力さに比べて「花」たちの持つ力には計り知れないものがあるように感じます。 結局のところ何が一番大切なのか… 迷ったときはその根本に立ち返るのが一番なのですが、それでも迷い続けてしまうときに、「花」たちの有り様は時に素敵なヒントをくれることがあります。 そのヒントがあるから、それを大切にしながら、今後もこの地を幾度となく訪れたいと思うのです。 |