前回の記事の巻末に「最後に一言」。
ええ格好に記載していますが、私の言葉ではありません(いまさら笑)。
とあるプロカメラマンのお言葉を引用させて頂きました。
私の先輩のお知り合いの方です。
そのプロカメラマンは、半世紀に亘る写真家です。
若い頃は、世にプロカメラマンとしての名声を・・・との思いで、
高価な機材を買い揃え、技術を競い合ったそうです。
成熟期には、「プロカメラマン」と呼ばれるまでに至ったそうです。
やがて新しい家族が誕生し、お孫さんが生まれる年齢になりました。
お孫さん誕生時の写真は娘婿さんが撮影し、報告に来たそうです。
ピンボケ写真だったそうですよ。
プロは「ワシの息子なんだからもっと綺麗に撮影しろよ」と言い放ち、
ついつい職業病で、撮影のウンチクを語り始めてしまったそうです。
昔、お金持ちの依頼で撮影した赤ちゃんの写真を引き合いに並べ。
しかし、そこでプロの心にある疑問が生まれました。
技術的なピーク時代に撮影した、他人の子供画像よりも
ピンボケでも「我が孫」の1枚の写真の方が感動した。
プロは技術を追求する余りに、大切な事を忘れてしまっていた!
1枚のピンボケ写真の背景には「思い出」「歓喜」など言い尽くせない
世界にたったひとつのストーリーも刻まれて居る事に気が付きました。
「おじいちゃん」になったその日、孫から教えてもらったそうです。
その出来事がきっかけで、プロカメラマンを廃業し、町の写真屋さんに
転業されました。一般家庭で撮影される「スナップ写真」に心を引かれ
たようで、「ピンボケでも良いから写真をいっぱい残してやれ!」と。
どうですか?写真を知り尽くしたプロカメラマンが行き着いた結果です。
私は先輩からこの話を、10年ほど前に聞かされました。
綺麗に撮影出来た方が良いですが、魂の入っていない画像は標本です。
最近の運動会やお遊戯会の写真って、俗に言う「流し撮り」。
子供の表情なんか偶然の賜物。欲しい写真ってないですよね。
ピンボケでも家族が撮影した1枚は、最高だと思いませんか?
ストーリーのある写真って、私もホント!大好きです。
この話を聞かされていなかったら、私も技術に走っていたと思います。
私が技術にチャレンジしたのは、息子の感性を引き出したいからですYO。
すなわち標本を教材にしているのです。
何だかんだ言っても、本音は綺麗な撮影が出来たら良いですし。
でも・・・エエ話でしょ。若い頃に教えて頂いて良かったです。
のでので・・・プチ披露してみました(笑)。