18代目 中村勘三郎が 57歳の若さで 亡くなった。 若いころから マスコミへの露出も 歌舞伎業界の中では とりわけ多く 国内外 あちこちに飛び回り バイタリティそのものの人だった。 2001年 1月1日 21世紀の幕開けの日 千葉 九十九里浜の成東海岸で 21世紀最初の初日の出を背に 勘三郎親子3人(当時は 中村 勘九郎・勘太郎・七之助)が 連獅子を舞った。 「連獅子」というのは 頭に長いもじゃもじゃのカツラをつけて グルグルふりまわす場面が 有名なのだが なんとなく想像していただけるだろうか。 僕らは 彼らの前座として この地区の獅子舞を披露する役に選ばれた。 「衛星放送で世界中に放送される」と聞かされていたので 年末そっちのけで 練習した。 (実際には 放送されたのは 勘九郎達だけで 我々は まったく映像にならなかったが・・・・) 2000年の大晦日 九十九里浜には冷たい雨が降っていた。 凍える指を ホッカイロで温め 篠笛や小鼓を懐中に入れ温めていたことを覚えている。 当時 小学生だった獅子舞の舞子は 眠いのを我慢しながら 滑る舞台で 立派に踊った。 すっかり濡れてしまったので 出番が終わると 支度小屋に逃げ込んだ。 勘九郎親子の連獅子は 結局 生ではなく ブラウン管を通してみた。 勘九郎が 勘三郎に 勘太郎が 勘九郎に 七之助は 七之助 彼らが テレビに映るたび 僕らは あの日を 思い出す。 今日から 当分の間は 悲しみの映像とともに 思い出すことになるだろう