昨日、ここ秩父ではようやくガソリンスタンドの行列が無くなりました。
あまりに突然の事だったので(前日まではすごい列でしたから)、一瞬頭の中が真っ白になるくらいの驚きでした。
たまたま、どうしようもない用事ができてクルマを出し、ガソリンの残量を見て冷や冷やしながらの運転中で、さすがに入れて貰うことにしました。
しかも制限無し。
「どんどん入ってくるから、大丈夫。満タンにしてあげるよ」
スタンドのおばちゃんにそう言ってもらいました。
…被災地にも同じようにどんどん入っているのだろうか? 入ってくれていると良いのだけれど!
祈るような気持ちで長く掛かった給油の間を過ごしました。
用事を済ませて再び戻る間、すっかり習慣になってしまった信号待ちごとのアイドリングストップを知らずしていました。…この習慣はずっと続けましょう。
そして、歩けるところは歩くという姿勢も…
国道沿いのスタンドにはそれでもまだ長蛇の列。
まだまだ平常通りではないようです。
平常通りに出来るはずなんてないのかもしれません。
さて前々回のブログの中で、いっぱい歩く話から思いだしたインドで書いた詩です。
思えばわたしは人生の大事な局面で、いつも歩いていた気がします。
地 平 線
− ゴア発ボンベイ行き船中にて−
最初の地平線は
今ここを歩き始めた自分が
そう遠くない いつか
あの地平線に見える村に辿り着けるだろうという確信だった
村と自分を隔てるデカンの荒野は乾き切って
おそらくは埃にまみれ飢え渇き
強烈な日射しを呪うことになろうけれど
あの砂地に足を取られ低地の辺りで道を失い
牧童に水を乞い農夫に道を尋ね
そうしていつか辿り着いてしまうという確信
自分が人間であることを知り
つまり人間がそうやって旅をしてきたことを学んだその時間
僕は固いチャパティを冷めかけたチャイで呑み下しながら
汽車の窓の側に居た
人は歴史ごとに移ろう時代の上を生きるのではなく
季節ごとに移ろうこの土の上に生きるものだと
昼下がりの木陰に憩う老人は無言で語る
たとい百年の先に生まれようが
百年前に生きようが
この季節のこの昼下がりをこうやって
彼が過ごすことに変わりはないだろう
土埃を浴びながら歩む牛たちも
丘を下る山羊の群れも
人と同じ時間を営むに違いない
今この瞬間にあの城塞の主が変わり
その為に多くの兵士がこの野に死んだとしても
或いはあの丘陵の先で核実験が行われたにしても
やはりそんなことと関わりなく一杯のチャイに午後を過ごす
老人がここに居るだろう
二度めの地平線はその老人の肩先を横切っていた
そしてそれから出会う地平線は
いつも自分が極めていった地平線だった
こんなに遠い処へ行けるものか行ける筈がないと
地図を拡げ時刻表を睨み
そして時にこの目で確かめながら
けれど結局辿り着いてしまった地平線だった
海を越え汽車を乗り継ぎバスに揺られ
さらに歩きひたすら歩き
気が付けば怖くなる程の距離を越えて
知らず辿り着いてしまっている地平線だった
歩むたびに地平線が移り
行き着けば始めの土地が地平線になってしまっているという
繰り返しの中で
僕はようやく自分の中の地平線が見えてくる
阪神淡路の震災の後、本当に多くの人たちが力強く被災地を歩き続けました。
その歩みの数だけ復興が早まったといっても過言ではないと、わたしはどこかで信じています。
今回の震災の惨状は、地震のエネルギーだけでなく被害の大きさとその種類においても阪神淡路をはるかに上回るものでしょう。
個人単位の支援活動が現場を混乱させるだけという、それほどの交通の混乱、情報の混乱…
それほど完膚無きまでに人々の暮らしは破壊されました。
でも…
それでも人は歩いています。
被災地の瓦礫の中を、避難所の中を、避難所と避難所をつなぐ遠い道を…
たとえその歩みは遅くても、その一歩一歩が確実に物事を前に進めていくのだと思うのです。
人の歩みには、それだけのエネルギーが秘められているとわたしは信じています。